マンションの寝たきり化   


----私の「住まいの思想」(4)
    (08/11,1999) 松本茂  

5月17日の各紙に「マンション総合対策・建設省が検討開始」という“記者クラブ記事”が出ていました。

小手先の持ち家政策の綻びを、遅まきながら取り繕い始めようとしています。この稿も少し視点を変えて

わが国の妖怪住居「マンション」のことにふれてみます。

◎マンションと人の高齢化問題  

マンションなどという気恥ずかしいネーミングは、赤坂のリキマンション(かの力道山の開発、1950年代末

か)に始まるとのことですが、いささか軟派風のこの共同住居は、所有権でもない、共有権でもない、「区

分所有権」なる新概念を発明して無理押しに法制化したことから始まりました。

 現在では推定352万戸、全住居戸数の1割を超えています。東京圏では、中古マンションは二束三文

になってしまいましたが、相変わらず「新築物件は販売好調」で建設産業の唯一のマーケットになっています。

恐怖のマンションでも、例によってみんなで渡れば怖くないということでしょうか。

 木造のマンションがイメージしにくいように、そのほとんどは堅牢建造物、コンクリート造ですが、わが

国の建築品質とメンテナンスの悪さで寿命は30年程度に考えられていますから、現在既に20万戸ほどは

臨終を迎えようとしています。空室率が30%を超えるとまず管理放棄の状況が現れ、給排水などから機能

低下が始まり、居住不能の状態になってしまいます。特にこのようなマンションは居住者も高齢者で、経済

的にも管理負担できないことも多く、居住環境は脳死状態になってしまいます。

 神戸淡路大震災で露呈したように、「建て替え」などということはまず不可能です。神戸の場合は事故死

のようなものですから、居住者も現役世代でしたから、合意形成がうまくいったマンションは、なんとか建て

替えを実現したようです。しかし、自然死を迎えようとしている通常のマンションは、居住者自身も終焉に近

付いているわけですから、新しい負担には耐えられませんし、合意形成などということはとうてい不可能です。

 このような状況は東京や地方中心都市の小規模マンションでまず発生し、一部は末端自治体である市

町村の行政サービスで救済しているようですが、そのほとんどは自己責任で放置されたまま、悲惨な状態

を続けています。住居介護とでもいうべきサービスを、民間住宅対策として取り組まなければ、より過大な

行政コストがかかってくると慌てて動き出したのが、「建設省の検討開始」になったのでしょう。

 「区分所有権」という発明は、いやがる法制局を、ゼネコン、デベロッパーを応援団に時の自民党政権が

無理押ししてでっち上げた法律で認知されました。1962年「建物の区分所有等に関する法律」です。あまり

にも杜撰で穴だらけ、わけの分からない法律として名を馳せた末、1983年に大改正をしてとり繕って現在

に至っています。

◎マンションは小さな自治体

 アメリカでは、わが国のような区分所有共同住居をコンドミニアム(共同体)といいますが、マンションを

買うということは、居住者の共同体に加盟することなのです(『マンションは小さな自治体』学芸出版社1996)。

住民の完全な自主権によって成立している唯一の自治体がマンションなのですが、マンションの区分所有

権を購入した人にこの意識がないことが「マンションの崩壊」をもたらしているのです。  住民自治、直接

民主制の体験不足が根底にあるのでしょうが、自分が何に金を支払って、何を買ったのかがはっきり分

かっていないのではないでしょうか。みんなが買っているから多分大丈夫なんだ、住めればいいじゃないか、

ということでしょう。  法律では区分所有者は団体をつくり、管理者をおくことが「できる」となっていますから、

管理するかしないかは区分所有者の判断に任されています。無政府状態が良ければそれでも良い、という

わけでしょう。欧米では区分所有建物には有資格の「建物管理者」を置くことを義務付けていますが、わが国

ではここだけ急に規制緩和が徹底して、自己責任世界になっています。「マンションの崩壊」は居住者の

責任ですよ、と突き放しています。  「私は素人だから何も分かりません」どんなに鉄部が錆びていても、

ペンキ一つ塗り替えない、ドアががたついても、力任せに押し開けるだけ。そのくせ上階の洗濯機がうるさい、

ピアノを夜間に弾いたなど、居住者同士の生活状況にはシビアに反応して管理組合に持ち込む。顔を合わ

せても声もかけられない、エレベーターに乗り合わせてもお愛想一ついえない。組合の会合には出たがら

ない、お義理で奥さんを寄越す、何一つ発言しない。  自らは「統治」される立場で、「自治」するなど考え

てもいない、いつも何とか統治の網をかいくぐって密かに生き延びたい。こんな心情が見え見えです。コミュ

ニティーを形成するメンタルなインフラが全くない所に、コミュニティー形成を前提とした「共同居住」を強いて
いるのです。

◎居住者自身が起きあがることから始まる

 法律でいう「区分所有者の団体」は、区分所有権の保全を目的とするもので、居住の視点はありません。

建物というハードウェアを管理するのも、複数者の所有の権利を保つための集団でしかないのです。

 したがって建設省が普及を図っている「標準管理規約」(1995)は、建物のメンテナンスを強化し、老朽化を

引延ばそうとするところに主眼があります。居住者の暮らしという厄介なソフト、あるいはその団体(組合)の

自治権などというものに踏み込むことなどできるわけがないのでしょう。  しかし、築後30年のマンションは

入居後30年という高齢者を抱えています。マンション問題を建物問題に押し込んでおくことは不可能なのです。

どこのマンションにも一応は「管理組合」が存在し、管理組合理事長も居住しています。形式だけの組合、

名前だけの理事長という形が多く、ほとんどはデベロッパー(販売者)が指定した「管理会社」に一切お任

せ(委託管理)しているのが実態です。  もちろん勇敢に「自主管理」に切り換えて、少しずつ共同居住の

ノウハウを蓄積している所もあるようですが、そのほとんどが、管理会社の不良管理に端を発しています。

 マンションの管理も結構難しい仕事で、素人の片手間ではかなり困難ですが、たまたま「奇特な人」に

恵まれたマンションでは成立しています。居住者の高齢化、管理費用の負担困難者の漸増など、区分所

有者の団体として抱えきれない問題が、建物の「管理」を押しつぶし、共同体の崩壊、共同居住の崩壊に

つながってしまうことになりそうです。  先進自治体の一部では、民間住宅対策の一つとしてマンション

支援に手をつけ始めていますが、居住者の意識は「寝たきり」で、極めて心許無い対応になっています。

自然死マンション、放置マンションが目にあまるような事態まで進んでしまわなければ、「みんなで住めば

怖くない」と思っているマンション居住者は起き出さないのでしょうか。

■ *『工房だより』(印刷版)1999年6月号より転載 松本茂(まつもと・しげる)
■プロフィール  1935年生まれ、小田原市在住。建築士。「生活美学社」主宰、自称「住環境ファシリテーター」。
日本人が元気で繁盛する住まいを持つまで戦い続ける。